日本綜合経営協会スタッフblog

創業44年 日本で初めて講師派遣を専門に起業した日本綜合経営協会(東京)のスタッフblogです。

★生涯学習

こんにちは、征夷大将軍です。
更新が遅くなりましたが、2019年7月都内某所にて「いつまでも若々しく生きるために~100歳までボケない101の方法~」をテーマに、白澤卓二先生にご講演いただきました。
年を重ねても元気でおられる三浦雄一郎さん
70歳にして、周りから無茶だといわれるも、エベレストに挑戦し成功させ、
さらに75歳、80歳でも見事登頂し、自分のギネス最高齢を書き換えるという偉業を成し遂げた方。

日本人の平均寿命は延び、近年ではいくつになっても、外に出て活動する、もしくは現役で仕事を続けるなど、生涯現役という考え方が広がっている。
白澤卓二先生によると、生涯現役でいるためには、中年期からの健康管理が大切とのこと。
中年期にはコレステロールやがん検診など気になる病気も多いが、特に注意が必要な病気がアルツハイマー病と骨粗鬆症。
この病気にかかってしまうと機能不全に陥ってしまっているため、補助が必要となり、介護の原因となる。

では要介護にならないためには、大きく2つのポイントがある。
それは①足腰がしっかりしていて、自分の足で歩けること、②自分の頭でしっかり考えて、判断できること。
こうした幸福な状態で年を重ねることをサクセスフルエイジングと定義されている。

エイジングには成功と失敗があるが、何%の人が成功できているのか?
10年以上前の統計にはなるが、100歳以上で要介護でない人は18%のみ。
そのため現在では平均寿命を延ばすことより、この要介護ではない人を増やすことが必要で、認知症の原因の60%以上を占めるアルツハイマー病をいかに予防するかが、これからの健康課題として重要になる。

ところで、アルツハイマー病と聞くと、どうイメージされますか?
私はますます症状が進んでしまったら、自分ではどうすることもできない大変な病気だと、先の暗い話だと思ってしまいます。

実は、アルツハイマー病は年を重ねて、75歳ごろに発症するものではなく、すでに45~50歳で脳の病変が始まっているそうです。
その頃より原因を積み重ね、症状が現れるのは20年後の75歳前後。
いかに早期発見できるかということが大事であるが、発見する方法が確立しておらず、症状が進んでしまっていた。

しかし、最近画期的なことが発見されて、アルツハイマー病が解決されてなくなると!?
ベストセラーにも選ばれたデール・ブレデセンさんの著書『アルツハイマー病 真実と終焉』によると、アルツハイマー病は原因がわからないのではなく、原因が多い。
36個の原因があり、その原因を拾っていけば治る、とのこと!?

これは家の屋根に36個の穴が開いていて、40歳、50歳になるとアルツハイマー病の原因がその穴を通じて、雨漏りしている状態になっている。
そのため1つの穴をふさぐだけでは治せるわけではないが、ライフスタイルや睡眠はアルツハイマー病へ影響を与えている。

白澤卓二先生は2005年ころより、アルツハイマー病を治療する病気ではなく、予防する病気として訴え続け、ついに日本政府が方針で認知症の数を減らそうという、削減目標を出し、予防をターゲットにした政策を打ち出した。

ここで、アルツハイマー病を劇的に改善された事例をお話してくださいました。
それはアメリカの小児科メアリー・T・ニューポートさんが記録したもので、ある彼女の夫は若年性アルツハイマー病で、日常生活、会話もできない末期の状態であった。
彼女は脂が身体によいと学び、ココナッツオイルをオートミールに入れて、夫に食べさせた。

すると4時間の間で、認知症のテストとして使われるミニメンタルステート検査(MMSE)の点数が14点(30点満点)から18点に上がった。
若年性アルツハイマー病は進行性のため、最後は寝たきりになってしまう。
そのため点数が上がるということは、専門家からすると奇跡か詐欺か疑うほどありえないことだった。と熱く語ってくださいました。

本当に奇跡ですよね。
末期で会話もできない状態の夫が、ココナッツオイルで歩いたり、走ったりできるようになったそうです!

その他アルツハイマー病に関わる気を付けるべき点など、とても貴重なお話でした。
事例などを交え、丁寧に解説してくださいました!
人生90年時代といわれる中、最後まで自分の力で生活できるよう、予防に取り組んでいきたいと感じました。

控室でも白澤先生が診てこられた患者さんの感動的なお話や、食についての衝撃的な事実をお話してください、とても気さくな先生です。
実際に、多くの方に聴いていただきたいお話ですので、
気になる方は是非一度お問い合わせいただければと思います!
ご連絡をお待ちしております!

白澤卓二先生のプロフィールと講演依頼はこちら


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いよいよ秋が近づいてきましたね。
終わってしまった遅い夏休みに悲しみでいっぱい超人ハルクです。

6月末のこと。弊社お得意様ご主催による、
(株)感性リサーチ 代表取締役・黒川伊保子先生のご講演を聴いてきました。

黒川先生と言えば!著書『妻のトリセツ』大ヒット!メディアに引っ張りだこですよね!

今回のテーマは「感性コミュニケーション~脳科学を学んで、人生の達人になろう~」
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黒川伊保子先生のプロフィールと講演依頼はこちら

「人の脳が一番眠い時間ですが、我慢して聞いただけのことはあるという時間にしたいと思います」と初めから笑わせ、掴みばっちりでスタートです❢

人工知能のエンジニアとして、「ヒトと人工知能の対話の研究」をしていた黒川先生。
男女脳のチューニング、好む対話モデルの違いから、男女の会話が相容れないことがわかった。

対話には、心文脈と事実文脈の2種類があり、女性は心文脈、男性は事実文脈を好む。

心文脈において重要なのは事実ではなく、共感とねぎらい。
例えば奥様からPTAの愚痴を聞いた時、皆様はなんと返しますか?
まさか「嫌なら辞めれば良いじゃないか」なんて返していないですよね?笑

一方、結論を把握し、事実を客観的に見極め、素早い問題解決をと考える男性。
特に責任があり、愛しているものに対してこそ、この事実文脈を発動させている。

女性は話を聞いてもらいたいだけ、男性は問題を解決してあげたい、これが男女の溝。
男女ともにどちらの会話もできるものの、情が絡む対話は、ほぼほぼ真逆になっていく。

また男女は、対話の方向、ハンドリングの手法も真逆とされている。

女性は事の発端からプロセスをなぞるように話す「プロセス指向共感型」。
心を語り共感されるとストレスが減り、気づきが起こり問題解決につながる。

危険な目にあったとき、男性よりも女性のほうが動揺する時間が長い。
怖がっている間にそのプロセスを解析するため、ビビればビビるほど脳の危険回避能力が上がる。無駄にビビっているわけでなく、きちんと問題解決に向かっているようです!笑

一方男性は結論から前倒しにする「ゴール指向問題解決型」。
問題点が見つかった瞬間に相手に伝えたい衝動に駆られ、それを口にする。
この指向はとっさの判断が早い。

つまり、相手が事の発端から気持ちを垂れ流し始めたら共感し、ねぎらい、
相手が結論・目的から話し始めたら、素早い問題解決を与えてあげると良い。

さらに、男女は音声認識のスイッチのonoffも異なる。

女性は起きている間中、音声認識のスイッチを切ることはない。
ぼーっとしていたとしても、相手の話を最初から聞き逃すことはなく、
「あなたどう思う?」と振られたとき、「そ~ね~」と返し、相手がもう一度言ってくれる状況を作り出せ、話がスムーズに回っていく。

しかし男性はよく音声認識のスイッチを切ってしまう。
ぽーっとしていると、相手の話が「ほにゃほにゃほにゃほえほえ」とモスキート音のように聞こえている。このため、話を振られると「はぁ?」と返す。

これは相手が話した内容に対する「はぁ?」でなく、
“僕聞こえなかったんですけど、何か?”という「はぁ?」なのです。

何かに夢中になっているとすぐ音声認識スイッチを切る男性。
女性は話しかけてから、2.3秒待って本題を始めると、話がスムーズになるそうです!笑

この後、女性の機嫌の治し方や職場で役立つ会話のワンポイントアドバイスも!
女性に「○○と私、どっちが大事なの?」と聞かれたら、、、、
職場で男性上司に報告・相談をするときの伝え方は、、、
正解を知りたい皆様、詳しくはご講演をお聞きください☺

男女は対話スタイルだけでなく、所作や眼球制御も異なるが、
これは完璧なペアの装置、つまり共存しなければならないことを意味している。

最後に、「男女は互いに違うことを認識し、“愛”の幻想を捨てたとき、最強の組み合わせとなり、最高のパフォーマンスを生む。組織の中でも男女脳が混在することで、気づき、発想、コミュニケーションなどの種類が増えていき、発展していくのではないでしょうか」とまとめられて終了となりました。

男女の会話のエピソードなどたくさん交え、笑いあり楽しく解説していただきました!
すべてはご紹介しきれませんでしたので、ぜひ皆様にもご講演を聞いていただきたいです。

お好きな映画俳優のお話や、前日のご講演で北海道に行き、旭山動物園に行かれた話など、控室でも気さくにたくさんお話していただき、とても明るい気持ちになりました☺
また、今回都内でのご講演でしたので、ご講演後旦那様が外にお迎えに!
さすが黒川先生!ご夫婦仲良しで、ほっこり幸せな気持ちとなりました♡

今、ご依頼が大変多く、非常にご多忙のようです。
皆様からのお早めのお問合せ、ご依頼、お待ちしております。

黒川伊保子先生のプロフィールと講演依頼はこちら


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落武者(前世)です👹

先日、弊社お得意様(44年前の弊社創業時、最初にお仕事を下さった団体様です)ご主催の、パックンマックンのお二人のご講演を聞いてきました!

会場へお入りいただいた後、控室で少しお話をさせていただきました。
お二人とも とっても気さくで、私達にもお気遣いをくださる優しくて素敵な方でした!!
今回のご講演テーマは「パックンマックンお金にまつわる笑劇的国際交流」。
まずはお二人の自己紹介も兼ね、客席も巻き込んでのコントを披露。
大変恐縮ながら、マイクが立ち位置によりハウリングしてしまうトラブルもありましたが、小規模の会ということでお二人が機転を利かせてくださり「マイク無しでも聞こえますか?」と確認のうえ、コントではマイクを使わずお話してくださいました。。
さすがプロの芸人さん、良く聞き取れるお声で、はじめから会場は大爆笑!
臨機応変にご対応いただき、本当に感謝です。

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コントの次は「皆さんに自己紹介をして、交流していただきたいと思います!」と、マネージャーさんや私達スタッフも例外なく、お二人の誘導でどんどんペアが作られていきます。
ただし、ここで1つ条件。「もし宝くじ10億円が当たったらどうするか、必ず話してください!」と。
実際に私も、司会進行役の方と自己紹介し合いました。他の方々のペアも、お二人が「終了―!」と告げてからも話し続け、大盛り上がり!
交流することの楽しさと醍醐味を全員で味わいました。

ここで話題は、今回のテーマにもある「お金」について。
日本人はお金について話すことについて、なんとな~く“いやらしい”・“汚い”というイメージを持っていて、子供にお金の話をするのも「まだ早いから・・・」と敬遠しがちだが、パックンの生まれ育ったアメリカでは全然違う!
子どものお小遣いの話から節約術、お金の貯め方・増やし方まで、日米それぞれのお金に関する価値観の比較を経て、「お金とはどういうものなのか」についてお話しいただきました。
詳しくご紹介したいところですが、、、ここから先はぜひ実際のご講演をお聞きいただきたいと思います!

パックンマックンのお二人のご講演は、最初から最後まで参加型。
マイク片手に客席まで向かい参加者の方に質問を投げかけ、回答をときに笑いに変えながら進行されます。
その時々の回答に応じて笑いの取り方も違うでしょう。まさに「客席をも巻き込んだ漫才」のようなご講演会です!
私ももう一度聞きたいくらい、とても楽しいひとときでした。
笑いにあふれたご講演会を計画されたい主催者様に、ぜひご推薦させていただきたいです☺

ただ、お二人には講演会・イベント等への出演依頼が殺到中!
テレビのレギュラーもあり、かなりタイトなスケジュール状況ということです。
先の日程ですとご相談が難しい場合もあるかと存じますが、そうした点も含め、早め早めのご検討をおすすめいたします・・・!

パックンマックンさんのプロフィールと講演依頼はこちら


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ご無沙汰しております超人ハルクです。
遡ること2月の始め。都内にて、宇宙航空研究開発機構(JAXA)名誉教授でいらっしゃる的川泰宣先生のご講演を聴いてきました。

ご講演テーマは、「小惑星探査機「はやぶさ」の軌跡 ~人はなぜ宇宙をめざすのか~」。
「はやぶさの話だけでも真面目に話せば7年かかるので、ピンチに陥った時のこと、苦労話を中心にお話します」と、ご講演がスタートいたしました!

そもそも“はやぶさ”は、なぜ火星や土星などの太陽系ではなく、小惑星に向かったのか?

当時40万個といわれた小惑星は、45億数千万年前の物質がそのまま閉じ込められており、重力が小さく熱も発生しないため、変質せずに太陽の周りを回り続けていた。

昔のものがそのまま残っているこのサンプルを持ち帰れば、太陽系の昔のことが調べられると考え、アメリカやソ連も行ったことない世界初の計画が日本で始まった。

この計画は、技術的に8つの世界初を成し遂げなければならず、宇宙開発委員会にせせら笑われたが、「若い人たちがこういう無謀な計画にチャレンジすることは大変良いことだ。試験探査機だから、やれるところまでやってみなさい」とスタートを切った。

最初は岩だらけの小惑星(後の“イトカワ”)を目指すことに。
地球から点にしか見えない小惑星に近寄っていくこと(8つの世界初の内の1つ)は技術的に至難の業であった。また、何しろお金がなかった(希望額の1/4しか貰えなかった)。

そこで、「下町ロケット」のような世界、つまり大きなメーカーに頼まず、ダイレクトに町工場に頼むことにした。自分達で歩く苦労はあったが、コストの削減を図った。

小惑星のややこしさの根源は地球から遠いこと。直線距離にして3億km、太陽の2倍。
ぶつかりそうになって衛星で指示を出しても、避けられない(間に合わない)ため、
鉄腕アトムのように自力でなんでもやれる(自律航法)プログラムを作る必要があった。

小惑星に降りていく時、最初に目印を落とし、そこに向かって降りていくのが良い。
どういった目印にすべきか?小惑星は、重力がほとんどなく、弾むと脱出してしまう。
弾まないためにどうすれば良いだろうか?

飲み屋で出会った町工場の職人さんが、お手玉を見本に例えてくれた。
お手玉は落ちるときに小さい粒同士がぶつかり合い、弾む力が残らない。どんな材料で作るかではなく、中に何を詰めるかが大事とし、結局作ってもらえることとなった。
最終的に“ターゲットマーカー”というソフトボール位の大きさの目印を落とした。

このように“はやぶさ”は、みんなで手分けをし、安く軽く性能が良い多数の部品で作られている。最終的には150~160もの町工場の技術が使われており、技術はもちろんのこと、強いネットワークが大変役立った。

では、どうやって欠片(サンプル)を拾おうか。
お金がなく、探査機も大きく出来ない。30人位の若いチームが議論に議論を重ねた。

長い筒の先が接地した瞬間に弾丸を発射し表面を砕き、舞い上がったほこりをカプセルに収納する。これが確実で、しかも軽い、最良の策とされた。

“はやぶさ”を打ち上げた日は、2003年の5月9日。
打ち上げの1~2週間前に投票にて名前を決める。第一候補は“アトム”であったが、原爆を思い起こさせると候補から外され、第二候補の“はやぶさ”となった。
“ハヤブサ”は目が良く、遠くから獲物を狙い、すばやく巣に帰っていく鳥で、この探査機に非常によく似ていたからだ。

一方、小惑星は満場一致で“イトカワ”と名付けられた。日本のロケット開発の第一人者であり、的川先生の大学院のころの指導教官でもあった糸川英夫先生に由来している。

“はやぶさ”が“イトカワ”に到着したのは、2005年9月。
だが、12月には戻らないと地球に帰れないため、短期決戦であった。

11月19日午後9時、重力と複写圧を使い、ゆっくりゆっくり秒速4センチの速さで降下を開始した。途中でターゲットマーカーを落とし、「あとは“はやぶさ”にすべて任せるよ」と指令を送り、見守った。

“はやぶさ”からは高度のみが伝えられる。「5m、4m、、、1m」の後に-1mと記録された。-1mが意味がわからず、「残念ながら着陸できなかったようだ、弾丸も発射されなかった」と発表した。

データを解析してみると“はやぶさ”がバウンドしており、このバウンドにより遠ざかったため、マイナスと記録されていたのだった。

こうして第1回目は失敗に終わるも、11月26日に第2回目の着陸が始まった。
「無事に着陸、成功したから帰ろう」となるも、今度はガスジェットが誤作動、ガスが100%出尽くした。コマが3つ故障しており、代替のガスジェットも使えなくなったため、姿勢制御できず、帰れなくなってしまった。

しかし、皆は諦めなかった。毎日徹夜をしながらアイディアを出しあった。
押す能力しかなかったイオンエンジンを使い、わずかに回転をかけ、起死回生を図った。

さらに、12月8日には、通信が途絶えるという最大のピンチが訪れた。
7か月ほど、1ビット通信で探し続け、ついに地球に戻る軌道にのせることができた。
「この原動力は皆の目標が高いところで共有されていたこと」と的川先生は考えている。

ようやく帰れる・・・!と思いきや、最後まで一筋縄にはいかず!笑
ここだけの“はやぶさ”のお話。動画を交えた最後のエピソードはぜひご講演で💡

とってもチャーミングな的川先生❤帰りの電車の中でも楽しくお話してくださいました❢
最近は“はやぶさ2”のニュースもあり、タイムリーですよね!
皆様からのお問い合わせ、ご依頼、お待ちしております☏

こんにちは、落武者(前世)です👹

先日 弊社お得意様ご主催での、歴史研究家・歴史作家 河合敦先生のご講演を聞いてまいりました!
日テレ系列「世界一受けたい授業」などTV番組でご存知の方も多いのではないでしょうか??

講演前にお迎えしたときには銀縁のメガネをかけていらした河合先生。控室で見慣れた黒縁メガネに掛けかえていました。
講演内でも触れられていましたが、TVに出るときのちょっとしたコスプレ用としてメガネを替えているそうです!(銀縁メガネをかけているときは、全く声を掛けられないんだとか…)
今回のテーマは「維新のリーダーから学ぶ 人を動かし育てる力」。
明治維新のはじまりはペリーが初めてやってきた1853年。
当時の日本人にとって衝撃的な出来事だったが、逃げ惑う人ばかりだったわけではなく、小舟で乗り出して物々交換を持ちかける人なんかもいた。
多摩地域からわざわざ見に行った農民もいたという記録も残っているそうです! 

当時の一般市民が一番気にしていたのはペリーの顔だったようで、錦絵もたくさん残っている。
でも噂を元にして描いているから、結構めちゃくちゃ・・・(「ペリーは目が青い」と聞いて描いたのであろう、瞳ではなく白目が青く塗られていたり。。)

1854年 日本は開国し、日米和親条約を締結。
「200年鎖国をして文明に後れを取った日本は、アメリカに屈服して開国するしかなかった」と思う人もいるかもしれないが、そんなことはない。
当時の日本人は、ペリーから蒸気機関車を贈られたわずか1年後、それを簡単に試作してしまっている。
つまり、自分たちで西洋の文明を模倣するだけの技術力を持っていたということ。

こうしたことができたのは、当時の教育水準が非常に高かったから。
江戸の中心部の約7割が文字を読み書きできたのではないかといわれている。このような国は他には無い。
文字が読めないと自分一人で勉強するということが難しいが、文字が読めれば自らいろんな書物を読んで学ぶことが出来る。

だから、出版文化も花盛りで、様々なジャンルの本が作られた。
特にベストセラーだったのは占いの本。河合先生がお持ちの占い本の内容を投影データでご紹介いただきました。
指の長さや顔の特徴で性格などを診断するもので、皆さんとても興味深く聞いていらっしゃいました!

そんな江戸時代の教育者といえば、吉田松陰。彼はペリーが浦賀に来たとき真っ先に見に行った。
松陰が松下村塾を開いていたのはわずか2年。通っていたのは近所の子供たちばかりだった。
それなのに、歴史に残る偉人を何人も輩出できたのかというと、彼の教育方針が素晴らしかったから。
そして、幕末のヒーローと言えば坂本龍馬。
吉田松陰がどのように人を育てたのか、また龍馬も弟子となった勝海舟の教育方針などについて、わかりやすく解説してくださいました。
全てご紹介したいところですが・・・詳しくは、ぜひ実際にお聞きいただきたいと思います!

最後に、龍馬をはじめとする偉人たちに共通する、チャンスのつかみ方について。
龍馬の最大の業績は薩長同盟を結んだこと。しかしこれは龍馬のアイデアではない。
両藩とも攘夷派だったが、列強諸国と戦ってみて、その実力を前に「国内から追い払うのはとても無理だ」と思い知らされた。このため「日本の独立を守るためには、ヨーロッパのような近代国家を作るしかない」という考認識で一致した。
ただ両藩の間には、死者も多く出た1年前の「禁門の変」の遺恨があった。
これにより両藩が手を結ぶことは難しい状況で、何人もの人が龍馬同様に同盟を結ぼうと動いたが出来なかった。

ではどうして龍馬にできたのかというと・・・「お互い殺し合ったけれど、攘夷が不可能であることは理解したはず。だから同盟を組み、近代国家を作れる」と、龍馬が普通の人とは反対の考え方をしていたからだろう。
そして最大の理由は、両者を説得するために何度も何度も動き続け、失敗しても絶対に諦めなかったから。

偉人たちはチャンスを掴むことにためらわず、最後まで諦めずやり抜く力を持ち続け、夢を叶えたのだということを 皆様へのメッセージにして締めくくられました。


教科書に載っていない内容盛り沢山! 語り口も流暢で、とても聞きやすいご講演でした。
教員時代、定時制高校に赴任した経験があり、生徒の興味を引くよう努力をされたのが講演で活きているのだそう。
お人柄も柔らかく、控室でもとても楽しくお話をさせていただきました❤
もし学生時代に河合先生の日本史講義を受けていたら、とても楽しく覚えることができただろうなと思います。。
どうして河合先生が教職を経て歴史研究者・歴史作家となったのか、気になるところだと思いますが…

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