日本綜合経営協会スタッフblog

創業45年 日本で初めて講師派遣を専門に起業した日本綜合経営協会(東京)のスタッフblogです。

【重要なお知らせ】新型コロナウイルス 感染拡大防止のための弊社業務体制について(2020.5.19更新)
2020年4月1日(水)より、全社で在宅勤務の体制を取っております。
また5月21日(木)より会社休業日・営業時間にも変更がございます。
※より詳細な情報は[ 弊社HP ]を御覧ください。

★スポーツ

落武者(前世)です👹
先月のこと。弊社お得意様ご主催の、伊藤華英先生のご講演を聴いてまいりました!
(伊藤先生といえば!つい先日ご結婚されたとの嬉しいニュースも😍本当におめでとうございます💖)
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伊藤華英先生のプロフィールと講演依頼はこちら

今回のテーマは「ストレスを味方につける!モチベーションマネジメント」。

ご自身が水泳を始めたのは生後6ヶ月から。でも幼少期はまったく勝利欲求がなかったのだそう!
小3のとき、全国大会に初出場。結果は36位中33番でしたが悔しさはなく、「わたしの実力はこんなもんか」「周りは真剣に水泳に取り組む子ばかりで、なんだか怖い子たちだなあ・・・」と思っていた。

中学受験を前に一度水泳をやめるが、中学校の水泳部に入り、再開。
純粋に泳ぐことを楽しむ中、1分30秒だったタイムが1分7秒に!
これだけ伸びると流石に周りも放っておかず、本格的に水泳にシフトしていくことに。
幼少期と変わらず勝利欲求はなかったが、「頑張れるかもしれない!結果も出せるかも!」と思い始めてきた。

高校1年で初めて日本選手権に出場、背泳ぎで6位の結果を残す。
このとき鈴木陽二コーチと出会い「オリンピックを目指さないか?」と声をかけられ、寮生活を決意。
その後、高校2年で日本代表を獲得、大学1年で背泳ぎ日本一、大学2年でアテネ五輪選考会に出場!と、順風満帆のはずが・・・
選考会では実力を発揮できず、結果は3位。五輪出場の機会を逃してしまう。
(競泳では、五輪代表になるためのチャンスは1度きり!選考会である日本選手権で1・2位になった選手しか権利を獲得できない、スポーツ界の中でも特に厳しい選び方ということです)

今、当時のメンタル面はどうだったか? と振り返ってみると・・・
「帰りたい」、「逃げたい」、そして「見られたくない」等、とにかく他人の目を気にしていた。
そして、オリンピックに「行ける」とは思っていたが、「行きたい」とは思っていなかった。
よくいろんな人に「期待してるぞ!」と言われたが、当時の伊藤先生は「そんなこと言われる筋合いはない!」と思っていた。
もしトップアスリートが同じように言われたなら、「はい!がんばります!」の一言でスルー。
勝つことを目指すのなら、他人のことではなく「自分が何をすべきか」「どう振る舞いたいのか」を第一に考え、周りに対してもポジティブな態度を取るべきだった。

この挫折経験を経て、自分がどうしたいのかという気持ち(信念)、自分が泳ぐことの意味(哲学)を持つことの大切さを知り、初めて自分自身を客観視できた。

ここをターニングポイントに、次の五輪に向け、完全に行動・性格を変えて臨んだ。
例えば、全日程のルーティーンを決める。自分の言動・行動をイメージする。終わった後のことは考えない。など・・・
今回も代表になれなかったら「そもそも自分は五輪選手の器ではないんだ」と思えるくらいの量の練習もできた。
その結果、努力が功を奏し、2008年北京オリンピックに初出場を果たすことができた。


ここまで、簡単に伊藤先生のご経歴に沿った部分をご紹介しましたが、この他にも
●伊藤先生も普段実践しているという簡単なメンタルコントロール法のご紹介
●ストレス発生のメカニズムについての解説
●ストレス解消に効果的な有酸素運動として、ピラティス体験(ピラティスインストラクターの資格も持つ伊藤先生直伝!!)
・・・など、役立つお話盛りだくさん!!
すべてご紹介したいところですが… 残りの部分は実際にご講演をお聞きいただきたいと思います


小さい頃は人前で話せるタイプではなかったとのお話もありましたが、とてもハキハキとしたお声で「聞かせる」ご講演だと思いました。
言うまでもなく、ご参加の皆様にも大変ご好評をいただきました\(^o^)/
特に、主催ご担当のTさんは現役時代からの大ファン!
「夢が叶いました!!」とまで言っていただき…お力添えができて嬉しいです😭✨

そしてとっても明るくて気さくな、素敵なお人柄の伊藤先生!
控室でもマネージャーさんとご一緒に、楽しくお話してくださいました😍
(そしてここだけのお話。宣材のお写真よりも実際にお会いした先生のほうがずっとお綺麗です!!!)

伊藤先生は、オリンピック選手としての経験、そして大学院で学んだことを一般の方にも知ってほしいとの思いで、講演をはじめ様々な活動に取り組んでいらっしゃいます。
ご講演テーマも、今回のようなモチベーションマネジメントの話題に限らず、
 ●リーダー職向け「トップチームのチームワーク ~個人の役割と組織力~」
 ●学生さん向け 「夢は自分を強くする」 ・・・など、幅広くご対応いただくことが可能です!

また弊社限定で、安全大会へも特別にご案内をさせていただいております!
これからご計画の主催者様にはイチオシでオススメしたい講師のお一人です👍
 ●安全大会向け「安全をより確かなものにするために ~オリンピアン推奨メソッド~」

明けましておめでとうございます🐗
今年もお世話になります超人ハルクです。よろしくお願いいたします!

昨年秋のこと。
弊社お得意様主催の記念講演会にて、「リーダーの条件~一流選手から学ぶ 目標達成へのプロセス~」と題した山本昌邦先生のご講演を聴いてきました。
前半は、一流選手たちがどんな特徴を持ってどのように成長していったか、
後半は、一流選手たちをどんなテクニックで育て、チームをマネジメントしたか、
と、講演の流れを伝えてからのスタートとなりました!

まず前半。
長友佑都選手は、愛媛の中学を卒業後、サッカーの強豪である東福岡高校へ。頑張っていたが、大した活躍ができず、どこのプロからも声がかからなかった。東京の大学へ進学するも、一年目はスタンドで太鼓をたたき応援のみ。これではダメだと懸命に努力。FC東京へ誘ってもらえ、プロの世界へ。現在に至る。

本田圭佑選手は、中学の時ガンバ大阪ジュニアユースに在籍していたが、高校ではユースで落とされ、15の春に挫折を味わい、金沢の星稜高校へ。雪まみれになりながら努力を重ね、高校選手権で活躍、プロの世界へ戻ってきて、今はW杯三大会連続ゴールを決めるほど世界で活躍している。小学校の卒業文集に、40億稼ぎ、セリエAで10番をつけると。全て実現している。

中村俊輔選手は、中学の時横浜マリノスジュニアユースに在籍していたが、高校では落とされ、高校サッカー名門の桐光学園高校へ。高校選手権で準優勝し、山本氏がユースの代表監督をしていた時に呼び、今に至っている。

では、彼らを蹴落とし、高校ユースに上がった人たちは今どこに消えたのか?
残念ながら“努力する才能のない人”はこの世界に残れない。彼らは、“折れない心”、“諦めない気持ち”、“努力し続ける”という良い習慣を身に着けている。
「負けず嫌い」「自分の意思でやり、人の話が聞ける」「高い目標を具体的に持っている」という3つが一流選手に共通すること。中でも特に中田英寿選手は人の話をよく聞きに来た。

サッカーには、技術・戦術・体力はもちろんのこと、その要素を包み込む強いメンタルが必要。つまり努力し続けることが必要。
中山雅史選手というギネス記録を2つ持つ、日本一ヘタなストライカーがいた。1988年フランスのワールドカップ、骨折していたにも関わらず、唯一点を決めたのは彼だった。メンタルがとてもすごく、サッカー選手にはとても重要なこと。この強いメンタルを買われて、2002年ワールドカップの代表に選ばれた。

そして後半。
中山雅史選手と秋田豊選手は、年齢によるパフォーマンスの衰えで一年以上も候補から外れていたものの、若い選手を叱咤激励する、相談に乗る等、見事に支えてくれ、チームを勝利に導いてくれた。

“このメンバーで何ができるか”を考えられるチームが強くなる。

長いこと選手に伝えてきた言葉がある。
「勝つことが大切ではない。勝ちたいと思うことが大切なんだ。諦めないことが大切なんだ。自分がしたことに絶対に満足しないことが大切なんだ。気を抜かないことが大切なんだ。自分に期待をしてくれている人をがっかりさせないことが大切なんだ。」

もちろん勝つためにプレーをするが、負けた時はチャンピオンのように堂々と負けを認めればいい。負けを言い訳せず、チームが勝つために自分はどうすればよかったのか考え、挑戦していくことが大切である。

スポーツは人生を学べる素晴らしいもの。
人生には喜びもあれば絶望もあるが、諦めなければ成長できる。

では、リーダー(指導者)の特徴とは?
①個性を生かすこと(パーソナリティー)
②専門知識がある
③指導能力がある(説明がうまいかではなく説得できるか、選手を納得させられるかどうか)

リーダーの仕事は、教えることではなく、気付かせること。
気付かせるためには、答えに辿り着くための良い質問をすること。

試合前のマネジメント方法は?ストレスやプレッシャーをどうやって取り除くか?
ポジティブな指標を与えること、選手自身の長所や強みを意識させ自信を持たせること。

最後に、「偉大なリーダーとは、選手の感情を揺さぶり、情熱に火をつけ、秘められた資質を呼び覚ませる人だ」とまとめられて終了となりました。

人を育てることの難しさは誰でも感じること。
山本先生のお話を多くの方に参考にして頂きたいと思います!

皆様からのお問い合わせ、ご依頼、お待ちしております☎

追伸:今回の会場は一般公開されておらず、なかなか入れません!
ご講演前に、会場内部~外観、お庭まで、見学させて頂き、先生にもとても喜んで頂けました!ご担当の方、とても貴重な経験をありがとうございます💕

山本昌邦先生のプロフィールと講演依頼はこちら


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こんにちは超人ハルクです!
9月中旬のこと、弊社お得意様ご主催による田中雅美先生のご講演を聴いてきました。
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田中雅美先生のプロフィールと講演依頼はこちら
 
今回のテーマは「競技人生で培われた人間力」

講師紹介DVDを2分半ほど上映し、登壇、「2年後の東京オリンピック時、スポーツ選手はこんな風にスタートラインに立っているのかな、と何かを思うきっかけになって頂けたら嬉しいです」と講演スタートです。

最初のオリンピックは、1996年に17歳で出場したアトランタ。
オリンピックにはよく魔物がいると言われるが、一種目目の時に自分自身もその魔物にのまれたような感覚(全然違う空気)を味わった。

日本では大会会場としてよく辰巳国際水泳場が使用される。
ここは観客が5000人ほど。一方、オリンピックとなると、1万5000~2万人の観客数。

2万人の歓声は、振動として全身に降り注ぎ(ぴりぴり・ちりちりという感覚)、結果、200m平泳ぎで自己ベストを出したものの、5位。

表彰台に上がっている選手は皆キラキラしていて、「絶対もう一度オリンピックの舞台にたち、メダルを取る」という目標を明確にしてもらったのが最初のオリンピックだった。

次のオリンピックは、2000年のシドニー。
自身にとっては非常につらく苦しく、今までで一番挫折感を味わうものだった。

選考時、予選・準決勝・決勝と全て日本記録を更新、200mは世界歴代2位を記録、メダル確実と言われる注目の代表選手となった。

しかし、選考時をピークとし状況は一変。
うまく泳げなくなり、プールに行くのも怖いと感じ、そのままオリンピックを迎えることに。結果、100mは6位、200mは7位。
「水泳なんて楽しくない、努力は無意味、もう辞めよう」と個人レースを終えた。

ただ一つレースが残っていた、それが400mのメドレーリレー。
日本水泳界の女子の中で初めてメダルが獲れるかとれないか、ドイツと接戦だった。

本番直前「自分のせいでメダルがとれなかったら、どうしよう」と不安に襲われた。
そんな不安に気付いたチームメイトの大西順子先輩が、「この4人なら絶対にメダル獲れるから!とにかく思い切って自分のレースをしてくればいい!」と声をかけてくれ、不安が消え、結果銅メダルを獲れた。

自分にとって、仲間の大切さや周りの人のおかげで自分が立っている事に気付かせてもらった2度目のオリンピックだった。

その後、水泳をやめようと思ったが、全国からお手紙や特産品が届き、たくさんの人から応援をしてもらっていたことを実感。「このまま終わってはいけないのではないか、もう一度やりきって終わるべきじゃないか」とアテネを目指すことにした。

しかし、アテネまでの道のりはとても辛いもので、泳ぎながら涙が出るときもあった。
中でもアスリートにとって、自分を信じ続けるというメンタルの維持が最も大変である。

そんな時、支えてくれたのが周りの人たち。印象的な言葉が二つある。

一つは、水泳をやめたいと泣きながら実家に電話した時の母の言葉。
「頑張ったね、もうやめていいよ、と親としては言ってあげたいけど、自分がアテネまでやると決めたのだから、最後まで泳ぎ切りなさい」。
諦めてはいけないとハッと気付かされた。

もう一つは、メンタルに波があったアメリカでのトレーニング中のコーチの言葉。
「次のレースで泳ぎ終わった後、一番最初にやることは電光掲示板のタイムを見ることではない。100%の力を出し切れたか自分の心に聞くことだ」。
日々の100%の積み重ねが、タイムとなり、結果となる。
この言葉は、今も日々何かに向き合うときに軸となっている教えである。

こうして迎えた2004年のアテネ、最後のオリンピック。
200m平泳ぎは4位。3位との差は0.05秒。距離としては約2cm。
このわずかな差でメダルをとることができなかった。

今でも、オリンピックの度に、メダルコンプレックスはある。
ただ、アテネのレースで泳ぎ終わった時、幸せだと思った。
悔いなく、水泳を引退し、次のステップに進もうと思えたオリンピックだった。

最後に、数人からの質疑にも丁寧にお答えいただき、終了となりました。

ご講演中には、オリンピックを身近に感じてもらいたいと、メダルを聴講者に回して見せて頂けました!皆さん首にかけたり、写真に撮ったりと、とても嬉しそうでした💜

ちなみに回ってきたメダルがこちら💡 持ってみると意外と重たく❢
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田中先生は、4月~放送していたTBSの日曜劇場「ブラックペアン」にもご出演されており、「観てました!」と伝えると、「一緒に出ていた子役の子がとっても可愛くて~😊」と、とても気さくにお話くださいました💕

12月には「TWO BOX」という舞台にもご出演されるそうです✨楽しみですね❢

田中先生のような凛としたオーラの素敵な女性になりたいなと思いました✨
お会いできて、とても嬉しかったです😊

どうも征夷大将軍です。
先日、元スピードスケート選手 清水宏保先生のお話を聞いてきました。
北海道地震後にも関わらずご対応いただき、東京までお越しいただきました。
本当に感謝です!ありがとうございました!

お話の初めに、近況としてピョンチャンオリンピックについて触れ、
清水先生の解説が好評だった一方、メガネが似合わないとも言われてしまったそうで、
その流れで有吉反省会にご出演され、反省させられてしまったと。(笑)
自虐的なお話されると、緊張感のあった会場に笑いが生まれ、つかみはばっちり!
さて、今回のテーマは『限界に挑み続けて』。
お話の前に、なんとオリンピックで獲得された銀メダルを聴講者全員に
回して見せてくださいました!とても重かったです!
(ところどころで清水先生がメダルの場所を確認し、笑いが起きていました。)

清水先生にとって、長野オリンピックで獲得された金メダルよりも
ソルトレークシティオリンピックで獲得され、お持ちいただいた銀メダルの方が
人生において大きなものを得たそうです。

その理由はオリンピック3か月前に交通事故にあわれ、足の切断は回避されたものの
歩けるまでに回復したのはオリンピックの1か月前。
(この時点でオリンピックを諦めてしまいそうな気もしますが、、、)

しかし諦めることなく、むしろケガをしたことで自分の身体に対するメンテナンスを
学んだ、とおっしゃっていました。
ケガに対しても、困難に立ち向かうにしても、(お医者さんに対して、治してほしいので)
「何とかして」と受け身になるのではなく、治すためには自分で「何ができるか」、
「何をすべきか」と攻めの姿勢で向かうことが大事とのこと。

これに気が付いた清水先生は、オリンピック1か月前からケガを治すというより、
身体のリハビリを学ぶということへ、考え方を変えられたそうです!
その結果、身体のメカニズムを知り、少しずつ体の調子が良くなり、銀メダルの
獲得につながったと、お話されていました。

「挑戦したものにしかチャンスはない」を胸に挑み続けられた清水先生だからこそ、
困難を乗り越えられ、結果を残されたのだと感じました。
そして引退後もケガによる経験を活かし、目標を達成したいと願う方々を
支えるお仕事をされていることを聞き、とても感銘を受けました。

年を重ねるごとに挑戦する意欲が薄れて行ってしまうように感じますが、
自分が挑戦したいことには、最後まで挑み続けたいと思います!

今回は安全大会へのご出講で、安全についても触れていただきました。
安全大会に、いろいろな講演会に、挑戦したいけど挑戦しきれていない方に、
筋肉に興味がある方に(?)、多くの方に聞いていただきたいと思うます。

みなさまガッデム、“黒のカリメロ”ことホクロです。

先日“黒のカリスマ”ことプロレスラー蝶野正洋先生をご紹介↓しました。
【講演依頼】”黒のカリスマ”蝶野正洋先生の安全大会は当社限定
実は蝶野先生、AEDや地域防災の啓発活動にも尽力されています。
盟友・橋本真也選手や三沢光晴選手が亡くなったことを一つのきっかけとして、
救急救命の啓発活動に取り組み始めたのですが、2014年7月には
一般社団法人ニューワールドアワーズスポーツ救命協会を設立するなど、
近年より一層力を入れておられます。

そんな蝶野先生が先日、事業活動発表会として報道関係者を前に行った現場に
報道関係者にまじって潜入してきました。
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蝶野先生といえば、もともとリングコスチュームを手がけていたマルティーナ夫人と
二人三脚でアパレルブランド アリストトリストを経営されていることも有名。
今回の発表ではAED救命啓発を強化するために新しいブランドの立ち上げも発表されました。
その名も【119 rescue call+AED】。
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防災や救急救命の啓発イベントをプロデュースするアイディアも発表され、
自ら「客寄せパンダになってもいい」と真剣な眼差し(※)で語る姿に胸を打たれる思いでした。
(※サングラスで見えませんが心眼でわかります)
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また、先日の大阪を中心とした地震についても触れられ、
痛ましい事故のあった学校のコンクリート塀も行政から注意喚起がなされていながら、
情報が地域に浸透していなかったことを指摘。
公助による「防災マニュアル」の広報や情報拡散をアシストし、地域防災力の向上につなげたいと
力説されていました。

ところで、地域防災の担い手といえば頼りになるのは消防団員の方々。
蝶野先生は日本消防協会の「消防応援団」として、各地で開催されるイベントには
なんと年間数十箇所(!)も参加し、消防団員を応援・激励するなど積極的に取り組んでいます。
今回、ブランドの売上の一部を公益財団法人消防育英会(※)に寄付されると発表。
さらに「東京都消防団 応援のお店」として消防団員の方々には割引も実施しています。
普段はなかなか意識されない消防団の活動の認知度を高め、彼らをリスペクトしてもらいたいという
蝶野先生の漢気が素敵です。
(※殉職した消防職員・消防団員、一般協力者の遺児に奨学金等を支給している)

こうした活動はすべて
「プロレスラーとして、アパレル企業として社会貢献にどう取り組むべきか」
という課題に真摯に答えようという姿勢から生まれたのですから、本当に頭が下がります。
私たちも微力ながらお手伝いが出来ればという思いを強くしました。

というわけで、蝶野先生はAED救急救命や防災の啓発だけではなく、
同じく生命に直結する安全の講演にも積極的です。
安全大会の講演は当社のみご案内が可能、テーマは以下となります。

○“黒のカリスマ”蝶野正洋に学ぶ!闘う現場の安全
○安全はギブアップしない!プロレスで学んだ安全・健康・命

お問い合わせをお待ちしております。

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