日本綜合経営協会スタッフblog

創業44年 日本で初めて講師派遣を専門に起業した日本綜合経営協会(東京)のスタッフblogです。

◆女性講師

だいぶ散ってしまいましたが、舞い散る桜もきれいですよね。
どうも征夷大将軍です。

先日、都内某所にて田中ウルヴェ京先生のお話を聴いてきました。
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田中ウルヴェ京先生は10歳で水泳からシンクロナイズドスイミング(現在、アーティスティックスイミング)へ転向され、12歳の時に東京シンクロクラブへ入り、本格的に取り組まれました。
15歳で日本代表チーム入り、19歳の時には、日本選手権のソロ(1人での競技)の部門で優勝されます。
1988年に開催されたソウルオリンピックのシンクロ・デュエットでは小谷実可子さんと銅メダルを獲得されました。

その後はシンクロの代表チームのコーチを経て、現在ではメンタルトレーナーとして、車いすバスケ男子日本代表や、なでしこジャパン女子サッカー日本代表のメンタルコーチも務められている先生です。

今回はスポーツメンタルトレーニング上級指導士の資格もお持ちの先生より
『ストレスをやる気に変える~ストレスコーピングとは~』をテーマにお話いただきました。
テーマにもある『ストレスコーピング』とは何なのか?
コーピングとは、ストレスに対してどう対処するか(=対処努力)というもの。
雨が嫌い、雨に濡れることがストレスなら、濡れないために傘をさす、ということもコーピング。
一方で、ストレスをうまく利用して、自分をやる気にさせたり、向上させたようとしたりするコーピングもある。

今回の内容は、自分がどんな時にどんなストレスを感じる人間なのか、自分に興味を持てるよう、その基礎となることをお話していただきました。

まずはメンタルについて。
メンタルは、現在、心が疲れ、弱っている人のことを総称して「あの人メンタルだよね」といった形で使われることもあるが、直訳すると“心の”という意味。

では心は身体のどこにあると思いますか?
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➀私たちの意識(どう感じて、どんなことを考えるか)はどこにあるか、という表現でメンタルを考えた時には、心は脳にある。

②しかし、自分の意識は脳で決まるのに、サッカー選手がPK戦の時に、もしくは人生が
かかっている状態の中では頭を抱えるのではなく、胸あたりをおさえ、落ち着こうとする。
それはハートの部分が緊張した時に、どきどきしているということを自分に感知させる。
自分たちのメンタルを感じさせてくれる一番の場所であるため。

③それでも心は1か所ではなく、人それぞれ感じる場所が違い、身体のいろいろな場所でメンタルの存在を感じることはストレスコーピングの大きな1つである。
参加されている方の中には背中という方もおられましたが、私も手や手首で感じることがあります!


次に感情について。
ラッセルの次元理論を基に、感情を4つの枠に分けて考える。
1、交感神経優位でプラスの感情=心臓がどきどきしていて快適な状態
2、副交感神経優位でプラスの感情=心臓はどきどきせず快適な状態
3、交感神経優位でマイナスの感情=心臓がどきどきしていて不快な状態
4、副交感神経優位でマイナスの感情=心臓がどきどきせず不快な状態

3はイライラしたり、焦ったり、4は落ち込んだり、悲しんだりといったマイナスの感情で、
良くない状態と思われるが、ストレスコーピングの第1歩としては、そんな感情に気づくことが必要。
それはどんな感情にも大切な役割があるから。

不快な状態と言われる感情があることで、人生のすごく大事なことに気づけ、『人間らしい』といった、本質にたどり着けるのではないか。
そのような感情を意識することで、快適な状態の感情も出しやすくなる。
良し悪しではなく、先生はどんな感情も正しいとおっしゃられ、それを聴けて、なんだか安心しました!

そんな感情を意識するための方法として、“感情のおなら”の練習がある。
それは自分がどんな時にイラつく?焦る?落ち込む?のかを言葉に出すこと。
これを練習するうちに、この感情には照れが入る、なんだが言いにくい、という自分らしさに気づくことができる。

さらに続けることで、いたるところの緊張が緩み、身体の調子が良くなる。
そして自己客観視の習慣がつくことで、明日(次)どうするか、といった建設的な思考ができるようになり、良い行動に繋がっていくそうなので、まずは1人の時に独り言として練習したいと思います!

最後には落ち着くための深呼吸の方法も教えていただき、パワフルで、笑いあふれる講演はあっという間でした。
他にも田中ウルヴェ京先生の経験された感動的なエピソードもお話していただきました。

もし“感情のおなら”の練習に興味のある方は、講演で丁寧に教えていただけますので、1度お聴きいただければと思います!
お問い合わせ、お待ちしております。

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落武者(前世)です👹
先日、弊社お客様ご主催での諏訪貴子先生のご講演を聴いてまいりました!
前々からどちらへご出講いただいても大好評の諏訪先生。当日をとても楽しみにしておりました☺
実際にお会いした諏訪先生はとっても気さくな方で、パワフルさと上品さを兼ね備えた、素敵な女性でした・・・!
諏訪先生のご著書を原作として作られた2017年のNHKドラマ「マチ工場のオンナ」。
講演冒頭ではドラマの役者さんや、撮影現場の裏話も含めて笑いも取り、つかみはばっちり!

まずはご自身の半生を振り返りつつ、二代目を継ぐまでのお話。
ダイヤ精機の二代目となることを望まれる中で誕生。
引っ込み思案だった幼少期の、お父様とのエピソード。
社会人時代の、女性エンジニアとしての苦労。
結婚・出産を機会に家庭に入るが、バブル崩壊後の厳しい状況下でお父様から「会社を手伝ってほしい」と言われ、会社を手伝うことに。
その後、お父様が肺がんの宣告を受ける。一度手術も成功したが、2年も経たないうちに急変。緊急入院したが、あと4日ももたないと。
会社のほうはといえば、事業承継の準備は全くしておらず、実印や権利書などの確認に奔走した。

お父様のご逝去後、すぐに「誰が会社を継ぐのか」という話に。
それまでは主婦の自分が継ぐなんて夢にも思っていなかったが、覚悟を決めて代表に就任。
だが、すぐに銀行から合併の話を持ち出される。社員が幸せになれる合併であれば受け入れたが、この話は違った。
銀行の支店長に「私は半年で結果を出す。結果が出なかったら好きなようにしていいから」と啖呵を切り、チャンスを手に入れる。

最初に、非常に苦しい思いでリストラを断行(分析から、売上に対し人数超過であることがわかっており以前からお父様にも提案していた)。
社員からの大反発もある中、これを皮切りに3年間の改革に踏み切っていく。


まずは経営理念、方針を定めるところから。
事業承継においては、「理念の承継」が最も重要なポイント。
創業者の場合、最初に理念や方針を組み立てた後、それに賛同する人が集まり仕事となっていくが
後継者の場合、先代の方針のもとに働いていた人たちを自分の方針に向かせる必要がある。
諏訪先生は、経営理念は社員(職人さんたち)とベクトルを合わせるためのものだと考えた。
このため、ダイヤ精機の経営理念は誰にでもわかりやすい言葉を使っている。


3年間の改革で行ったこと。
1年目は意識改革。職人さん相手に整理整頓などの教育をし、モノづくりの基本を整えた。
2年目は新しい設備やシステムを導入するなど、自社の強みをより強化するためのIT化を進めた。
3年目は1・2年目の改革で高まったモチベーションを維持し、さらに継続・発展するための仕組みづくりを行った。
この改革を経てある日、協力メーカーさんより『職人さんたち、皆笑顔で「俺たち新生ダイヤだからよ!」って色んなところで言ってますよ』と聞く。
ああ、これで社員さんの意識は完全に変わったな と思い、改革にピリオドを打った。


後半は人材確保と定着率UPの方法、そして人材育成について・・・と、盛り沢山の内容!
失敗談はもちろん、「どうしてそのような考えに至り、どのように実行したのか」まで赤裸々に語ってくださいます。
司会のプロとしてのご経験もある先生。流石メリハリのある話し方で、面白いエピソードも上手に挟み、本当にあっという間の90分でした!
社員さんとの強い絆が感じられるエピソードでは、涙ぐんでいる方も多くいらっしゃいました。

文字数の関係で致し方なく、かなり端折ってのご紹介となってしまいました・・・
多くの方に、ぜひ生のご講演でお聞きいただきたいです!
※ご本業もおありな中、ご講演の引き合いも非常に多い先生でいらっしゃいます。

落武者(前世)です👹
先月のこと。弊社お得意様ご主催の、伊藤華英先生のご講演を聴いてまいりました!
(伊藤先生といえば!つい先日ご結婚されたとの嬉しいニュースも😍本当におめでとうございます💖)
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伊藤華英先生のプロフィールと講演依頼はこちら

今回のテーマは「ストレスを味方につける!モチベーションマネジメント」。

ご自身が水泳を始めたのは生後6ヶ月から。でも幼少期はまったく勝利欲求がなかったのだそう!
小3のとき、全国大会に初出場。結果は36位中33番でしたが悔しさはなく、「わたしの実力はこんなもんか」「周りは真剣に水泳に取り組む子ばかりで、なんだか怖い子たちだなあ・・・」と思っていた。

中学受験を前に一度水泳をやめるが、中学校の水泳部に入り、再開。
純粋に泳ぐことを楽しむ中、1分30秒だったタイムが1分7秒に!
これだけ伸びると流石に周りも放っておかず、本格的に水泳にシフトしていくことに。
幼少期と変わらず勝利欲求はなかったが、「頑張れるかもしれない!結果も出せるかも!」と思い始めてきた。

高校1年で初めて日本選手権に出場、背泳ぎで6位の結果を残す。
このとき鈴木陽二コーチと出会い「オリンピックを目指さないか?」と声をかけられ、寮生活を決意。
その後、高校2年で日本代表を獲得、大学1年で背泳ぎ日本一、大学2年でアテネ五輪選考会に出場!と、順風満帆のはずが・・・
選考会では実力を発揮できず、結果は3位。五輪出場の機会を逃してしまう。
(競泳では、五輪代表になるためのチャンスは1度きり!選考会である日本選手権で1・2位になった選手しか権利を獲得できない、スポーツ界の中でも特に厳しい選び方ということです)

今、当時のメンタル面はどうだったか? と振り返ってみると・・・
「帰りたい」、「逃げたい」、そして「見られたくない」等、とにかく他人の目を気にしていた。
そして、オリンピックに「行ける」とは思っていたが、「行きたい」とは思っていなかった。
よくいろんな人に「期待してるぞ!」と言われたが、当時の伊藤先生は「そんなこと言われる筋合いはない!」と思っていた。
もしトップアスリートが同じように言われたなら、「はい!がんばります!」の一言でスルー。
勝つことを目指すのなら、他人のことではなく「自分が何をすべきか」「どう振る舞いたいのか」を第一に考え、周りに対してもポジティブな態度を取るべきだった。

この挫折経験を経て、自分がどうしたいのかという気持ち(信念)、自分が泳ぐことの意味(哲学)を持つことの大切さを知り、初めて自分自身を客観視できた。

ここをターニングポイントに、次の五輪に向け、完全に行動・性格を変えて臨んだ。
例えば、全日程のルーティーンを決める。自分の言動・行動をイメージする。終わった後のことは考えない。など・・・
今回も代表になれなかったら「そもそも自分は五輪選手の器ではないんだ」と思えるくらいの量の練習もできた。
その結果、努力が功を奏し、2008年北京オリンピックに初出場を果たすことができた。


ここまで、簡単に伊藤先生のご経歴に沿った部分をご紹介しましたが、この他にも
●伊藤先生も普段実践しているという簡単なメンタルコントロール法のご紹介
●ストレス発生のメカニズムについての解説
●ストレス解消に効果的な有酸素運動として、ピラティス体験(ピラティスインストラクターの資格も持つ伊藤先生直伝!!)
・・・など、役立つお話盛りだくさん!!
すべてご紹介したいところですが… 残りの部分は実際にご講演をお聞きいただきたいと思います


小さい頃は人前で話せるタイプではなかったとのお話もありましたが、とてもハキハキとしたお声で「聞かせる」ご講演だと思いました。
言うまでもなく、ご参加の皆様にも大変ご好評をいただきました\(^o^)/
特に、主催ご担当のTさんは現役時代からの大ファン!
「夢が叶いました!!」とまで言っていただき…お力添えができて嬉しいです😭✨

そしてとっても明るくて気さくな、素敵なお人柄の伊藤先生!
控室でもマネージャーさんとご一緒に、楽しくお話してくださいました😍
(そしてここだけのお話。宣材のお写真よりも実際にお会いした先生のほうがずっとお綺麗です!!!)

伊藤先生は、オリンピック選手としての経験、そして大学院で学んだことを一般の方にも知ってほしいとの思いで、講演をはじめ様々な活動に取り組んでいらっしゃいます。
ご講演テーマも、今回のようなモチベーションマネジメントの話題に限らず、
 ●リーダー職向け「トップチームのチームワーク ~個人の役割と組織力~」
 ●学生さん向け 「夢は自分を強くする」 ・・・など、幅広くご対応いただくことが可能です!

また弊社限定で、安全大会へも特別にご案内をさせていただいております!
これからご計画の主催者様にはイチオシでオススメしたい講師のお一人です👍
 ●安全大会向け「安全をより確かなものにするために ~オリンピアン推奨メソッド~」

インフルエンザが流行っていますが、
みなさん大丈夫でしょうか?
ものまね四天王です👸

先日、弊社お得意様ご主催の三浦由紀江先生のご講演会へ行ってまいりました!
今回は「仕事は楽しく、自分に限界をつくらない」というテーマでお話いただきました。
先生は23年間の専業主婦生活ののち、44歳でJR上野駅の駅弁販売でパートデビュー。
これが人生ではじめてのお仕事。
パートから管理職、正社員にまでなった経歴を持つ先生。
そんな先生がどういった考え方で、どういった事を心がけて今までお仕事をされてきたかをお話してくださいました。
全部書くとネタバレになってしまうので
特に私の印象に残ったお話を紹介したいと思います😇

とても楽しそうにお仕事のお話をされる先生でもパート時代、転職を考えた時期があったそうで、いくら利益をだしてもなかなか上に認められなかったことから 求人誌をみて新しい働き口を探していたそう。
それでもここで働くと決意。
「楽しい仕事なんてない、仕事を楽しくしてしまえばいいんだ!」
と、ご自身の考え方を変えて、お仕事を続けられたそう。
そんなとき、先生の店舗の支店長が変わった。
いままでの店長はずっと事務所でパソコンをカタカタしているだけ😐
でも次の支店長はお店も手伝うし、よくみんなを褒める。
そして先生はどんどん認められていったそうです。

そんな先生の接客のポイントが2つ。
お客様をよくみて気づくこと。何を見ているか、何を持っているか、何を着ているか。
よく聞くこと。話をする、話を聞くことでニーズをひきだす。
たしかに、旅行へ向かう駅でフレンドリーに接客してもらえたら嬉しくなって ついついたくさん駅弁を買っちゃいそうですよね😋🍙
先生はこの接客を通して駅弁の味が変わると思っていたそうです。
「さっきの販売員さんたのしかったな~」と笑顔で駅弁を食べるのと「あの無愛想な販売員どうなってるんだ!」とムカムカしながら食べるのでは味が変わるのではないかとおっしゃっていました。
ただ売ればいいだけではなく、お客様が駅弁を召し上がるときの気持ちも考えていらっしゃるとは…さすがです😊

こうした接客を続けることで営業所長に抜擢された先生。
なんと、1年で売上が5,000万円もUPしたそうです😲!
どうして売上が伸びたのか。先生は現場に出て手伝われたそうです。
ずっと事務所でパソコンをカタカタしていると煮詰まってきて、現場にお手伝いに行ってしまったそう。
初めて行ったときは「所長何やっているんですか!」と手伝うのを止められたそうですよ。
それもそのはず、それまでの営業所長は現場に来ても腕を組んで外から見ているだけ。
最初は遠慮していた現場の方々もそのうち慣れてくると「三浦さん、今日もお手伝いお願いします!」なんてお願いされるようになったとか😉
パートさんたちからも所長が来てくれると楽しい!という声もあがったそうです。
先生がいらっしゃったら場がパッと明るくなりそうなのでパートさんたちの思いがよく分かりました✨
また、先生は現場のことは現場が一番よくわかっているという考えからある程度の決定権を現場の方々に持たせたとのこと。
それが原動力となって売上アップにつながったのではないかとおっしゃっていました。

最後は、感謝の気持ちと楽しむことが重要だということを身をもって知った。
楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいんだと考えてきた。
みなさんもたくさん笑って、楽しくお仕事をすることにつなげていただければと締めくくられました。

お話の途中では、先生が企画に携わり大成功した駅弁や鉄道博物館のおみやげだけでなく、失敗した駅弁もご紹介いただけました。
一緒に聴講したチョコレート大好きなハルク先輩は全部チョコレートでできた、なんちゃって幕の内弁当が気になったようでした😍🍫

なんと!三浦先生は現在も現役のパートさんとしてJRの駅弁売り場でご活躍中だそうです。
今回のご講演前にもお仕事をされてきたそうでしたが お疲れの色も全く見せず控室でも気さくにお話してくださいました。
ご講演も先生の接客と同じく明るくフレンドリーな印象で、次の旅行のときには私もぜひ先生の店舗に行って先生のおすすめ駅弁を買いたいな、と思いました😉🌟

営業さんはもちろん、実際に自分が販売などしていない社員の方などでも お仕事に対してのポジティブな考え方を教えていただけるご講演だったと思います。

こんにちは超人ハルクです!
9月中旬のこと、弊社お得意様ご主催による田中雅美先生のご講演を聴いてきました。
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田中雅美先生のプロフィールと講演依頼はこちら
 
今回のテーマは「競技人生で培われた人間力」

講師紹介DVDを2分半ほど上映し、登壇、「2年後の東京オリンピック時、スポーツ選手はこんな風にスタートラインに立っているのかな、と何かを思うきっかけになって頂けたら嬉しいです」と講演スタートです。

最初のオリンピックは、1996年に17歳で出場したアトランタ。
オリンピックにはよく魔物がいると言われるが、一種目目の時に自分自身もその魔物にのまれたような感覚(全然違う空気)を味わった。

日本では大会会場としてよく辰巳国際水泳場が使用される。
ここは観客が5000人ほど。一方、オリンピックとなると、1万5000~2万人の観客数。

2万人の歓声は、振動として全身に降り注ぎ(ぴりぴり・ちりちりという感覚)、結果、200m平泳ぎで自己ベストを出したものの、5位。

表彰台に上がっている選手は皆キラキラしていて、「絶対もう一度オリンピックの舞台にたち、メダルを取る」という目標を明確にしてもらったのが最初のオリンピックだった。

次のオリンピックは、2000年のシドニー。
自身にとっては非常につらく苦しく、今までで一番挫折感を味わうものだった。

選考時、予選・準決勝・決勝と全て日本記録を更新、200mは世界歴代2位を記録、メダル確実と言われる注目の代表選手となった。

しかし、選考時をピークとし状況は一変。
うまく泳げなくなり、プールに行くのも怖いと感じ、そのままオリンピックを迎えることに。結果、100mは6位、200mは7位。
「水泳なんて楽しくない、努力は無意味、もう辞めよう」と個人レースを終えた。

ただ一つレースが残っていた、それが400mのメドレーリレー。
日本水泳界の女子の中で初めてメダルが獲れるかとれないか、ドイツと接戦だった。

本番直前「自分のせいでメダルがとれなかったら、どうしよう」と不安に襲われた。
そんな不安に気付いたチームメイトの大西順子先輩が、「この4人なら絶対にメダル獲れるから!とにかく思い切って自分のレースをしてくればいい!」と声をかけてくれ、不安が消え、結果銅メダルを獲れた。

自分にとって、仲間の大切さや周りの人のおかげで自分が立っている事に気付かせてもらった2度目のオリンピックだった。

その後、水泳をやめようと思ったが、全国からお手紙や特産品が届き、たくさんの人から応援をしてもらっていたことを実感。「このまま終わってはいけないのではないか、もう一度やりきって終わるべきじゃないか」とアテネを目指すことにした。

しかし、アテネまでの道のりはとても辛いもので、泳ぎながら涙が出るときもあった。
中でもアスリートにとって、自分を信じ続けるというメンタルの維持が最も大変である。

そんな時、支えてくれたのが周りの人たち。印象的な言葉が二つある。

一つは、水泳をやめたいと泣きながら実家に電話した時の母の言葉。
「頑張ったね、もうやめていいよ、と親としては言ってあげたいけど、自分がアテネまでやると決めたのだから、最後まで泳ぎ切りなさい」。
諦めてはいけないとハッと気付かされた。

もう一つは、メンタルに波があったアメリカでのトレーニング中のコーチの言葉。
「次のレースで泳ぎ終わった後、一番最初にやることは電光掲示板のタイムを見ることではない。100%の力を出し切れたか自分の心に聞くことだ」。
日々の100%の積み重ねが、タイムとなり、結果となる。
この言葉は、今も日々何かに向き合うときに軸となっている教えである。

こうして迎えた2004年のアテネ、最後のオリンピック。
200m平泳ぎは4位。3位との差は0.05秒。距離としては約2cm。
このわずかな差でメダルをとることができなかった。

今でも、オリンピックの度に、メダルコンプレックスはある。
ただ、アテネのレースで泳ぎ終わった時、幸せだと思った。
悔いなく、水泳を引退し、次のステップに進もうと思えたオリンピックだった。

最後に、数人からの質疑にも丁寧にお答えいただき、終了となりました。

ご講演中には、オリンピックを身近に感じてもらいたいと、メダルを聴講者に回して見せて頂けました!皆さん首にかけたり、写真に撮ったりと、とても嬉しそうでした💜

ちなみに回ってきたメダルがこちら💡 持ってみると意外と重たく❢
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田中先生は、4月~放送していたTBSの日曜劇場「ブラックペアン」にもご出演されており、「観てました!」と伝えると、「一緒に出ていた子役の子がとっても可愛くて~😊」と、とても気さくにお話くださいました💕

12月には「TWO BOX」という舞台にもご出演されるそうです✨楽しみですね❢

田中先生のような凛としたオーラの素敵な女性になりたいなと思いました✨
お会いできて、とても嬉しかったです😊

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